全国神職ブログ集
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出雲大社佐久之宮講社
(2010-9-10 15:01:29)
相撲と神様。
(2010-8-1 7:07:08)
■相撲と神様。
古事記の出雲に相撲のルーツがあります。出雲大社近くの稲佐の浜で出雲大社の御祭神の大国主大神の御子神の建御名方神と天照大神の家来の建御雷神が力比べをしたのがその始まりだといいます。この勝負は天照側の建御雷神が勝ち、建御名方神は信州諏訪へと去りました。この相撲は神と神が手を取っての勝負だったので相撲の別名を手合とか手乞というそうです。また相撲用語に「手」に関するものが多いのもここからきているようです。一方、『日本書紀』には、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 の野見宿禰と当麻蹴速が天皇の前での勝負が書かれています。天皇は地元の大麻村の力士と出雲の野見の力士を戦わせたそうです。勝負は野見が勝ち当麻は腰を骨折し亡くなったそうです。奈良の三輪山にの大兵主神社には相撲の跡があり、野見は奈良桜井の出雲にとどまりこれまでの殉死の風習を埴輪におさめることにかえることを提案した野見に土師臣の位を賜ったそうです。敗者当麻も手厚く祀られているそうです。
古事記の出雲に相撲のルーツがあります。出雲大社近くの稲佐の浜で出雲大社の御祭神の大国主大神の御子神の建御名方神と天照大神の家来の建御雷神が力比べをしたのがその始まりだといいます。この勝負は天照側の建御雷神が勝ち、建御名方神は信州諏訪へと去りました。この相撲は神と神が手を取っての勝負だったので相撲の別名を手合とか手乞というそうです。また相撲用語に「手」に関するものが多いのもここからきているようです。一方、『日本書紀』には、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 の野見宿禰と当麻蹴速が天皇の前での勝負が書かれています。天皇は地元の大麻村の力士と出雲の野見の力士を戦わせたそうです。勝負は野見が勝ち当麻は腰を骨折し亡くなったそうです。奈良の三輪山にの大兵主神社には相撲の跡があり、野見は奈良桜井の出雲にとどまりこれまでの殉死の風習を埴輪におさめることにかえることを提案した野見に土師臣の位を賜ったそうです。敗者当麻も手厚く祀られているそうです。
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