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link 新川の社務所から 新川の社務所から (2010-9-10 14:01:21)

feed ビキニに眠る戦艦の話 (2010-7-31 15:33:10)

毎年この時期になると、思い出すことがあります。


みなさんは日本の「戦艦」というと、何を思い浮かべるでしょうか。


某宇宙戦艦の影響や最近映画化されたこともあって、恐らくたいていの方は「大和」と答えるのではないでしょうか。


しかし「大和」は戦争が始まってから竣工しましたし、ずっと極秘扱いだったので、一般に広く知られるようになったのは戦後のことです。では戦前、戦艦といえばまず名前があがったフネは何かというと、まず「長門」だろうと思います。


祖父母のうち唯一生存している私の祖母(大正10年生)に以前聞いてみたところ、「陸奥」をあげていました。これはほぼ「長門」と同じツクリのフネです。「長門」は呉を、「陸奥」は横須賀を母港としていましたから、祖母にはなじみが深かったのかもしれません。


「長門」は竣工当時、世界最大最強のフネでした。


そして「大和」が現れるまで15年ほどの間、ずっと日本海軍の象徴でありつづけました。


開戦の頃には聯合艦隊司令部が乗り込み「ニイタカヤマノボレ1208」を発信したり、ハワイ真珠湾を攻撃する航空機の「トラトラトラ」を受信したりしましたが、あまり外洋に出撃していくことはありませんでした。というのも、もう戦艦同士が出会って大砲をぶっぱなして勝敗が決するのではなくなっていて、全く自分のフネから見えないところに飛行機をとばして攻撃する、いきなり敵の飛行機があらわれて攻撃される、そんな時代になっていたのです。


それでも戦争末期、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦などの激戦に投入されました。激しい空襲を受けながらも力戦奮闘、多数の味方艦が沈没する中、生き残って日本本土に帰りました。


その後は、燃料不足のせいで最後まで出撃の機会はありませんでした。


長門が日本を再び離れるのは昭和21年3月のことです。その頃にはすでに米軍によって接取されており、核爆弾が艦船に与える影響を実験するため、マーシャル諸島のビキニ環礁へと向かったのです。


同年7月1日、爆心地近くに配置されていた長門の上空で、原爆が炸裂しました。戦中、相次ぐ空襲で長門は傷ついていて、修理はされないままだったのですが、ほとんど損害をこうむりませんでした。


ついで同7月25日、また爆心地近くに配置され、水中爆発の衝撃を受けました。しかし、右舷側に約5度傾いただけで、長門が沈むことはありませんでした。


アメリカの肩を持つわけではありませんが、この実験は別に見せしめのような意味合いはなかったようです。というのも、長門だけではなく、アメリカの艦船も実験に投入されていたからです。そして、アメリカの戦艦や空母など大型艦がつぎつぎに沈むのに、長門がなおも洋上にあるのは、日本の技術が優秀だったからだ、長門に関ってきた英霊が下で支えているんだ、と言われました。


しかし、同7月29日朝、関係者は長門が沈んでいるのを発見しました。


前日の深夜から未明にかけての間に、人知れず沈んでいたのです。


そして、今でも長門はこのビキニ環礁に沈んでいます。



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