全国神職ブログ集
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はじかみ神主のブログ
(2010-9-10 14:31:17)
明治天皇祭・明治神宮
(2010-7-31 10:46:29)
昨日は、明治天皇様が、明治45年7月30日、国民号泣の中に御年61歳(数え年)をもって崩御(ほうぎょ)あそばされた日です。
大正元年9月13日、東京青山斎場において御大葬がおこなわれました。
翌14日には、京都南郊の伏見桃山御陵にお鎮まりになられたのでした。
明治神宮のHPによりますと、本年は、明治天皇様が崩御されてより98年目の御年となり、2年後には100年祭をお迎えになられるわけです。
明治天皇は明治維新を成し遂げ、近代日本の礎を築き上げました。明治天皇の御聖徳をお偲びする多くの国民の声によって、大正9年11月1日に明治神宮が御創建され、大正3年4月11日に崩御になられた昭憲皇太后の御神霊とともに、両祭神とゆかりの深い代々木の地に御鎮座になられたのでした。
ですから、この日は、明治神宮では、明治天皇様の御威徳を偲んで、「明治天皇祭」が中祭式で、午前9時より執り行われるのです。
祭典では、宮司の祝詞奏上に続き、明治天皇の御事績や御聖徳を讃(たた)えて、「明治神宮大和舞(やまとまい)」が神職によって奉奏されます。明治神宮では唯一、神職によって舞われる男性の一人舞なのです。
これは、明治天皇様のお詠みになられた代表的なお歌…。
明治天皇御製(ぎょせい)
「あさみどり 澄みわたりたる 大空の 廣きをおのが こころともがな」
に合わせ楽を奏し、神職が御神楽(みかぐら)を奉納します。
なお、画像は、自決当日の乃木夫妻です。
乃木大将は、大正元年9月13日の明治天皇御大葬の当日、午後8時前に霊柩の宮城出発を告げる号砲が鳴り響いたのを合図に、妻とともに自刃して壮絶な殉死を遂げました。
当時はこう報じています……「午後8時夕月落ちし大内山の彼方、一発唸くが如き砲の音の聞ゆるは、今し先帝の御霊轜が宮城を首途せきせ給うを告ぐる合図なり」と。
まず妻・静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が十文字に割腹し、再び衣服を整えたうえで、自ら頸動脈と気管を切断して絶命しました。
遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死であるむねが記されていたのでした。
乃木将軍辞世
「うつ志世を 神去りましゝ大君乃 みあと志たひて我はゆくなり」
日 露戦争の、旅順要塞攻防戦において乃木は子息2人を無くし、多くの犠牲者を出したことから、責任を取るために切腹を申し出ていましたが、明治天皇から制止され、子供を無くした分、自分の子供だと思って育てるようにと学習院の院長を命ぜられます。
その際「自分が死ぬまで死ぬことはまかりならん」と言われた通り、明治天皇崩御に合わせ殉死を選んだのですが、その崇高なる精神は、今でも語り継がれております。

