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藤島神社
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最終更新日 2009-11-30 2:39
福井市足羽山に御鎮座の藤島神社は、新田義貞公を御祭神とする神社です。
旧社格は別格官幣社。現在は神社本庁の定める別表神社。
御祭神(お祀りされている神様)
贈正一位 新田義貞公【源朝臣義貞】
御配祀(併せて祭祀されている神様)
贈従三位 新田義宗卿【源朝臣義宗】義貞公三男(新田家継承者)
贈従三位 脇屋義助卿【源朝臣義助】義貞公弟(脇屋家始祖)
贈従三位 新田義顕卿【源朝臣義顕】義貞公長男(嫡子だが戦没)
贈従三位 新田義興卿【源朝臣義興】義貞公次男
殉難将士(新田家一族郎党の戦死者)
御鎮座地(お鎮まりの場所)
福井市毛矢3丁目8番21号(足羽山字共遊山)
(旧称地番:福井市岩堀町62番地)
【現在境内:山奥町・足羽上町・毛矢3丁目・不動町・常盤木町の地籍】
新田義貞公の戦没地とされるのは、兜の発掘された、現在の福井市新田塚町604番地(旧吉田郡西藤島村灯明寺畷、福万村・三ッ屋村)です。
万治3年(1660)、福井藩主・松平光通侯によって創建された戦没碑(現今のもの)は水戸侯(徳川光圀)による湊川神社の濫觴となる楠木正成建碑より32年も前のことでした。
下って明治3年(1870)、東京では新田義貞公の子孫である新田貞時、横瀬貞篤(新田貞時の分家)、新田俊純はじめ一族旧臣らによって、新田義貞公を祭祀する神社の建設とその列格が請願されていました。
同時期に福井藩主・松平茂昭侯は公の戦没地に一祠を建立(今の新田塚の祠)し、続いて公を奉斎する官幣社としての創建を建議。これは俗に「新田社」とか「新田神社」と呼ばれ、湊川神社の「楠社」や「楠神社」と同様のものでした。
また、先の新田貞時(のち長男・新田貞善が継承)、横瀬貞篤、新田俊純の請願により、明治6年(1873)群馬県の新田金山城跡に新田神社が創建されて群馬県社に列しました。
続く明治9年(1876)11月7日、灯明寺畷の祠(新田社)は別格官幣社に列せられて、畏くも明治天皇より「藤島神社」の社名を賜り、新田義貞公を主祭神、新田義宗卿、脇屋義助卿を配祀される旨を仰せ出されました。同年12月15日、同地の仮殿が落成したので、宮中より勅使・桐山純孝を遣わして御霊代を奉安せしめられ、ここに初めて朝廷の祭祀を行わせられました。
次いで同11年(1878)1月10日、新田義顕卿、新田義興卿以下、新田一族郎党殉難将士を配祀せらるる旨、仰せ出だされました。
明治14年(1881)11月23日、灯明寺畷を南に距る十三町余、現在の福井大学の芦原街道を挟んだ向かい、福井市外吉田郡西藤島村牧ノ島(現在の福井市文京4丁目9番・10番・11番一帯)に社殿を新たに建設して遷座祭を斎行しました。
しかし、同社地一帯は卑湿の地であり、また福井平野は九頭龍川と足羽川(やがて九頭龍川に合流)の大きな河川があり、治水も現在ほどよくありませんでしたので降雨に際して水害がしばしばありました。当地でも例外でなく、恐れ多くも濁水が境内神域を汚すことが多々あったため、同31年4月15日に現在の足羽山へ移転することが決定されました。
明治31年4月15日に現在地の足羽山へ移転することを卜定せられ、奉遷会を組織。旧福井藩主家・松平康荘侯爵を会長として全国の官民有志が協力して、遂に同34年5月22日、社殿境域の工を竣り遷座祭が斎行されました。
昭和8年10月24日、時の天皇陛下は陸軍特別大演習御統監のため福井県へ行幸遊ばされ、恐れ多くも藤島神社へ御親拝賜りました。その折に1万坪強の境内は一段と再整備がなされました。
さらに、続く昭和13年5月の新田義貞公御殉節600年祭(式年の大祭)でも隆盛を極め、戦中ではありましたが、そのころの福井では新田公ブームで大変盛り上がっておりました。
昭和20年7月19日、戦火のため社務所と宝物殿を除く、御本殿以下諸殿が炎上しました。次いで御本殿・拝殿などの仮殿が徐々に竣工していましたが、またもや昭和23年6月28日の福井地方大震災に遭遇してその仮殿以下諸殿も倒壊しました。
昭和29年にはまず御本殿が復興され、続く昭和31年11月8日、創建80周年大祭を斎行して復興奉賛会を組織。高松宮宣仁親王殿下を名誉総裁、旧福井藩主家・松平康昌元侯爵を総裁、熊谷組・熊谷太三郎氏(福井市長・参議院議員)を会長として再建に努め、翌年秋には諸殿が竣工しましたので、昭和32年11月12日に神殿竣工式が斎行されました。これが現在の神社です。
その後幾度か境内改修が施され、御本殿の檜皮葺は銅板葺になり、更に昭和50年の藤島神社列格創建100年大祭には神社会館「藤寿殿」が建築。昭和63年の御祭神650年式年大祭には神符授与所が復興し、戦前の状態にひとまず近づくことができました。
平成19年には傷んだ社殿の銅板を取り替える際に仮殿・本殿遷座祭が齋行され、翌20年には御祭神670年大祭が無事に執り修められて益々の御神威の発揚を祈念いたしました。
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